チラシの歴史

今世紀前半の約50年間は、戦争につぐ戦争の時代であった。日本だけではない、世界中の全媒体にとって、平和への道か戦争への道か、そのいずれかの選択がきびしく問われたのであった。

この時期のすべての印刷媒体、電波 ・映像媒体には、よく知られるように、戦争への編集態度の刻印が残されている。平和をねがうビラ、チラシ、新聞の勢力が、国民世論の大多数を味方に引きつけ、ファシズムを打ち滅ぼした国ぐにがあった。逆に戦争推進勢力が、平和をねがうビラチラシの息の般をとめた国があったが、最後は大敗し自滅した。戦前の日本には、戦争に反対し治安維持法で逮捕され た人々は約20数万人、起訴送検者は7万人をこえる、民族の良心ーーともいうべき人びとは少ない勢力ではなかったが、国民世論と結ぶ巨大な戦争抑止勢力を形成するほどには成長してこなかった。

ビラチラシの歴史ということになると、単純に瓦版、 引札、絵びらが引合いにだされる。しかしこれらは 現代のビラチラシとは異質の一種の源流形態で、ビラチラシ類似物と思われる。民衆側に立つ非営利のビラチラシの誕生は、ここ百年前後ではないだろうか。

❶農民反乱の記録、文書

この国の歴史で多数の農民が参加した土一撲、百姓一撲、強訴、暴動、逃散、愁訴ーは幾千件となくおこり、要求や伝えあいの記録 文書が残っている。農民は徳政令発布(借金棒引き令)、関 所廃止、年貢賦役減免、商品生産取引の自由などを領主 に要求し、組織的な武装蜂起で要求をとっている。この伝統は、自由民権運動に引きつがれた。

❷瓦版 15,6世紀に出て最盛期は、19世紀。大声で読みながら売ったので、当時は読売と呼ばれ、半紙大で3から4文、内容は政治ニュースは乏しく街ダネ過剰。 図引札絵ぴら18世紀初頭ごろから、商品ビラを 引札、色刷ポスターを絵びらと呼ぶ。